経済

ベトナム経済

 南北の統一(1975年)がなされた後もなかなかよくならない経済状態を打開するため、1986年からドイモイ「刷新」と呼ばれる経済政策が打ち出された。ドイモイは主に「市場経済の導入」「対外開放」が進められ今までの最大の貿易相手国旧ソ連が崩壊したことにより一気に改革が加速した。1991年には暫く中越戦争で亀裂の生じていた中国と国交正常化、また、アメリカとの国交正常化によりベトナムは次第に国際社会の一員として迎えられた。

 ベトナムは1996年から2006年の10年間は目覚しい経済を成し遂げた。しかしここ数年はアジア経済危機。世界同時不況の煽りを受けて不安材料を抱えている。ベトナムの高速鉄道、日本の新幹線を採用 総事業費5兆円ベトナム政府が東南アジア最大規模の交通インフラ整備事業「南北高速鉄道」に日本の新幹線方式の採用を決めたことが明らかになった。2009年11月の日越首脳会談でグエン・タン・ズン首相が鳩山由紀夫首相に表明した。海外での同方式採用は台湾に次ぎ2番目。日本政府は近く、計画の推進を目指した次官級協議を提案する予定。総事業費560億ドル(約5兆円)の大規模事業が具体化に向けて動き出す。南北高速鉄道はベトナム北部の首都ハノイと南部の商都ホーチミン間(1560キロメートル)を結ぶ計画。事業規模が大きいため、ベトナム政府は一部区間を優先して着工する案を検討する。具体的には北部のハノイ―ビン間(280キロメートル)、南部のニャチャン―ホーチミン間(380キロメートル)の2区間で整備を先行する構想が浮上している。ベトナムにおける経済改革政策(ドイモイ政策)が実施された。

 1986年以降の経済発展の特徴と今後の持続的発展のための課題を明らかにした。主な結果として,第一に,土地生産性および生産面積の同時増加によってコメ生産が飛躍的に発展し,農業部門の安定的成長や輸出拡大に貢献した。土地生産性の増加には,肥料投入の増加による貢献が最も大きく,また灌漑面積の増加やドイモイ政策の実施などが大きな要因であることを定量的に実証した。しかし,灌漑面積率が減少傾向にあり,水利投資をはじめとする農業土地基盤整備の推進や土地生産性の地域間高位平準化などが必要である。

 第二に,1992年から1997年頃までに工業化が大きく進展し,経済の高度成長が実現された。これらは外国直接投資や輸出の拡大によるところが大きい。しかし,工業化の進展や経済発展に伴って産業構造は大きく変容したが,就業構造はほとんど変化しておらず,大量な農業過剰労働力を吸収するための国際的競争有意性をもつ労働集約型産業の振興戦略の構築が必要である。1986 年12月のベトナム共産党第6回大会で、社会主義に市場経済システムを取り入れるというドイモイ政策が採択、中国と同様に改革・開放路線へと転換した。1996年の ベトナム共産党第8回大会では、2020年までに工業国入りを目指す「工業化と近代化」を二大戦略とする政治報告を採択した。政府開発援助と外国投資が経済を牽引している。アジア通貨危機で一時失速した国内総生産 (GDP) の成長率も、2001年は6.8%、02年7.0%、03年7.2%、04年7.7%と安定成長が続いている。中国では人件費が上昇基調にあることから、新たな投資先として近年、注目されている。

  こうしたことからも、WTO加盟が政府にとって重要な目標となっていたが、2007年1月、ようやくWTOに加盟した。労働人口の66%が第一次産業に従事しているが、近年は第二、第三次産業が急成長。観光業の伸びが特に著しく、重要な外貨獲 得源となっている。主な輸出品目は原油、衣料品、農水産物。特にコメについては、タイに次ぐ世界第二位の輸出国であったが、現在は輸出制限措置をとっている。